こんにちは、革靴伝道師として活動しているこひ先生(k_leather_lover)です!
今日はTwitterでたまに投稿する「#靴ポエム」という企画を、ブログで長文でやってみることにしました。
革靴ってストーリーがあるファッションアイテムだと思うんですよね。
買うときは自分に合う革靴を選ぶ苦労がありますし、買ってからは長年連れ添うことでどんどん表情が変わる面白さがありますしね。
私の経験や主観的意見を入れて、誰でも読みやすい文章に落とし込むことで、革靴を魅力的に思ってもらいたいです。
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今回のテーマは「勝負靴」についてです。
初めてのクライアントワークは出向だった
仕事で、体力的にも精神的にも、負けそうになったことがある。
2018年の夏の始め。新卒入社二年目、私はウェブコンサルタント業の会社から、大手広告代理店に臨時出向になった。
「出向」と言えど案件単位の出向なので、常駐はしなかった。ただし、過去の担当案件とは比べものにならない粗利規模の大きいクライアント企業にアサインされた。
実はこの案件、もともと四月に始まっていた。
では、なぜ夏のこのタイミングで私がアサインされたのか?
それは同広告代理店の担当者が辞退し、私の会社の担当者が転職をして欠員が出たからだった。
私はもともと内勤のマーケティング職。これが初めてのクライアントワークデビューとなった。
激務。心と身体がおかしくなり始めた
そこから鬼のように忙しい日々だった。辞める人が続出するのも頷ける壮絶な現場だった。
まず連日のキャンペーンプロモーション対応。
弊社の通常のクライアントなら3ヶ月あるいは半年に一回行えば多いほうだが、ここは1ヶ月に一本ペースで、関係者全員フル稼働だった。夜11時に電話対応して、妻(当時は彼女)に心配をかけたこともあった。
次に気まぐれで引かれる企画案提出。
先方都合で遅れた3ヶ月のスケジュールを、私が11本の下書きとライターを引っ張ることで1ヶ月半でどうにか巻く、凄まじい年末年始を過ごした。この一件で関係にひびが入り、疎遠になった仕事仲間がいる。
終いに心理的にアウェーな環境。私は代理店の出向なのでその会社の名刺を持って動いていたため、クライアントから見ると私はその会社の人間。話の辻褄を全て合わせなくてはならない。
本業の会社の批判を聞きつつ、出向先を立てるという厳しい飲み会にも参加する必要があった。
心の前に、まず身体にきた。
11月か12月か。クライアントに急かされる夢を見て飛び起きたり寝られない状況が続いた。またストレスのせいで顎関節症がひどくなり、食も細くなって体重が5キロ落ちた。
この案件の粗利は、本業の会社にもちろん計上されるため、気軽に手放すわけにはいかなかった。
大手広告代理店の激務、かつ出向という契約形態のプレッシャーがのしかかった。
自信と勇気を買いに、奮発したのはポーだった
そんなとき、私に自信と勇気をくれたのは革靴だった。
時間は少し遡って9月。アポ終わりに銀座に訪れた。
転職するという前任者から引き継ぎが済み、とうとう独り立ちしたタイミングで、引き継ぎの不備が見つかり経理でも実務でも問題が発生した。
自分を鼓舞する何かが欲しくて、兼ねてから買いたかった革靴を見に行くことにしたのだった。
それは銀座シックスの1周年記念限定のパラブーツ・ポーだった。パラブーツのダブルモンクと言えば、なんといってもウィリアムが主流だと思う。
「よく間違えられるのですが」
店員さんも、そう言っていた。
だが、このポー。細身のシルエットにネイビーのシボ革の光沢がなんとも蠱惑的だった。
自分のマイサイズ、最後の一足だった。運命だと思って、アポの終わりに本当に買ってしまった。
ベンチャー企業の新卒二年目が買うにしては安くない買い物だった。まさに清水の舞台から飛び降りる気持ちだったと思う。だが、このおかげで、ポーの見合う男に、仕事が熟せる漢になろうと奮起したのだった。
それからアポには勝負靴として、雨の日も風の日も、積極的にポーを履くようにした。
秋に入ってもホワイトパンツにネイビーのジャケットと合わせてポーを履き続けた。弊社からの大事な提案も、相手へのタフな催促も、全部この革靴と一緒に乗り越えてきた。
見た目も細身で、フィッティングもタイト。私には特に左足がきついように感じた。でも底が沈み、アッパーも少し伸びて徐々に合うようになった。
下を見れば、気合を入れるために買った、決意の証が足元を支えてくれる。本当に安心感があった。
終わりは突然だったが、ポーは残った
その案件は今年の春、突如打ち切りになった。
大手広告代理店のなかで体制変更があり、案件を外注しないで組織で内製化する意向が高まったためだった。
パソコンと社員証の返却時には、セキュリティ研修のときの担当者さんに挨拶はできたが、当時の同案件の方々とは顔合わせはできなかった。多分忙しかったのだろう。
打ち切りという結果には正直複雑な気持ちだったが、自分の業務はどうにか、本当にどうにかやり切った。何よりクライアントから目を離さず、真正面から取り組めた経験が財産になった。
たしかに終わりは突然だったが、あのときの戦友ポーは今も私と一緒にいてくれている。新卒三年目の初秋、私のポーは一歳になった。
夏の暑さがと秋の肌寒さが重なるこの時期は、激務に立ち向かう覚悟を決めたあのときの銀座の秋空を思い出してしまう。